ブラコン爆発
久しぶりに兄と会った。
二人きりで会うのはいつぶりだろうか。父親が東京に用事がある際に三人で集まって飲みに行くことは年に数回あるが、会う機会はそれくらいしかない。
普段の生活の中で、わざわざ予定を決めて兄弟に会う理由を見出すことは非常に困難だ。
今回は兄が転職したということで、話を聞いておきたいと思い私から食事に誘った。
ほとんど会わない兄ではあるが、趣味が合うので非常に仲がいい。職種も近い。話も弾む。
話題の中心は兄の転職活動や新しい職場、最近読んだ本や「だが情熱はある」などになる。それが話したくて誘ったのだから良いのだが、そういう一般的な話題においては、会話はどうしてもお互いの「話題カード」の切り合いになってしまう。父親に気を使うことなく自由に話せる数少ない機会であり、話したいことも多いから当然だ。お互いある程度の人生経験を積んできたこともあり、スムーズに会話は進む。ステーキの食べ方が雑なことをアピールして可愛げを出しつつ、あくまで一定以上のマナーを守ることもできる。
しかし違和感もある。兄との会話はこんな秩序や脈絡があるものだったろうか。そして私はこんな人間として振る舞っていたのだろうか。
「世界の事象に対して、自分なりの考え方や捉え方を一定の水準で確立している。それが陳腐で幼稚なものであることもわかっている。それでも私は大多数の人々よりは“マシ”であることは自覚している。」そういう自分として会話する。
ちょうどこのブログでの私と同じように。
兄も同じような私の違和感に気づいているようだった。私が兄の前で気取って話していることに、兄は気付いていたように思う。
これは「本当の私はこうじゃない」とか、「昔はこうだったのに変わってしまった」という話ではない。おそらく、昔からずっと私はこうだった。
兄との会話のやり方あるいは兄との関わり方において、現状がベストではないと思っている、というだけだ。そこには改善の余地がある。
10年ぷよぷよをやってきた私の土台手順にまだまだ改善の余地が残っているのと同じように。
結局、こち亀148巻のキレやすい男や、モンブラン・ノーランドの生き様について、お互いの認識が一致していることを確認する時間が最も心地よく、最も有意義だった。
兄に勧められた本の感想を書こうと思って筆を取ったが、長くなったしここまでにしよう。
書こうと思っていた感想も勿論「気取った」ものなので書く気が失せてしまった。
幸せになる方法
①「ラジオクラウド」をインストール
②「空気階段の踊り場」を検索
③18.10.12までさかのぼり、
「#79【本編】水川かたまり号泣プロポ―ズ」を聞く
以上3ステップです。
去年から在宅勤務が増えたので、よく仕事中にラジオを聞くようになりました。意外と仕事が捗るし、時間が早く過ぎるので精神的にも楽です。
中でも「空気階段の踊り場」が抜群に面白いので超絶おすすめしておきます。
上の「かたまりプロポーズ」だけでいいので是非聞いてください。
空気階段 プロフィール|吉本興業株式会社(空気階段を知らない人へ)
面白いものを享受するのってかなりカロリーが必要なんですよね。
特に知らない人、興味のない人から発せられるオモシロを受け入れるのには苦痛さえあります。好きな人の話ならどれだけでも聴いていたいと思えるのに。
昨年末はM-1グランプリの予選の動画を見漁っていたんですが、知らないコンビが3組とか続くと、もう見ていられないです。
どんなに面白くても、好きじゃない人のトークなんて聞いていられない。
自分の度量が狭いせいでの機会損失を嘆くこともありますが、他の人間も皆そんなもんでしょう。
そういうことを考えると、「このラジオのこの回が面白いから聞いてみて」なんて薦め方は全く無意味かもしれません。
それでも何かのはずみで「かたまりプロポ―ズ」を聞いて空気階段のことを好きになってほしいです。好きになれなかったらごめんなさい。
他のお気に入り回も紹介しておきます。ラジオクラウドで全部聞けます。
4:ホスト用語集 男が全く知らない世界なので普通に勉強になる。
9:テラスハウス もぐらの純真さがかわいくて好きになる。
23 24:もぐらの恋愛 応援したくなる。手に汗握る。
29:かたまりマザコン 空気階段が各番組でやってるトークの原点
58:菅田将暉に喧嘩を売る
60:図書館の赤ちゃんのエピソード
77 78:もぐら妻登場。岡野さんと裁判
79:かたまりプロポーズ
90:サラリーマンじゃない人川柳
103:銀杏BOYZ ドラマみたいな話。空気階段が売れたら金スマで再現VTRが作られるはず
117:将棋部の思い出 もぐら高校時代の漫画みたいな話。
幸せになる方法を知りたい。
記事にするほどでもない主張
日頃から思っているけれど記事にするほどでもない、しょうもないことをまとめました。
これわかる、これわからん みたいなのがあれば会ったときに話してくれると喜びます。
1.「普段優しいけど怒るべき時は怒る人」は「怒る人」なので嫌。
2.私を特別扱い、私を贔屓にしてくれる人は怖い。公平性がない人だと思ってしまう。
3.逆に自分の駄目な所やクズな所をちゃんとバカにしてくれる人が好き。
4.仲良く手を繋ぎ、何も言わず全く歩調も乱さないまま信号無視してるカップルを見た。価値観の一致って大事。
5.ラーメンと餃子と寿司と焼肉は同じ部類。好きだけどどこか料理として納得がいってないから好きだと公言できない。
6.マッチングアプリで自分をいいねした人の悪口言う奴の気が知れない。
7.ネトストの分類が必要。ネトストと言って意味が伝わらない。
8.シースルーバングと外はねを最初から好む20代男は存在しない。好きな人がやってたら好きになるだけ。
9.「いい人なんだけど……」は人格の全否定に近い。
10.全ての歯医者に星1の糞レビュー書いて、別アカウントでそのレビューにいいねつける奴がいる。人間を殺している自覚を持て。
11.顔認証は「自分の顔を見てくれている」という一抹の幸せを感じる。
12.奢られた時のお礼言うのが苦手。金払った方が数倍マシ。そう思わせたくないから自分も奢れない。
13.美容室でパーマとかの長時間系を頼むと、パーマ後の仕上げカット以降しか話しかけてくれない。それまで会話ゼロで鬱憤が溜まっているのでついテンション上がって話してしまうのが恥ずかしい。
14.ほとんど全ての女性に言語系の能力で勝てる気がしない。言語能力は自分が重視してる部分なので、それがそのまま女性に対するコンプレックスになってしまう。
15.近所のコンビニが急に面白いフレーズのポップに凝り始めた。外国人店員の方々が疎外感を感じていないか心配。
16.ビール以外の酒も135ml缶を販売してくれ。
17.粗大ゴミ捨てるの煩わしすぎる。ずぼら人間は国に見捨てられている。
18.郷愁はこの世で2番目に美しい感情。1番は兄弟愛。
19.「元彼の話なんか聞きたくないからするな」は現実から目を背けてるだけ。結婚30年で聞いたことないのはかなり怖い。
20.文句言った後にフォローしまくって雰囲気を戻すまでがクレーム
最近読んだ本と米津玄師の好きな曲を交互に紹介する
やります。
楽曲のリンクは私がiTunes使ってるのでそれで貼ってます。Youtubeとかで全部聞ける曲もあるかも。
iTunesの好きなところは「♡ラブ」のボタンです。機能としては使わないけど。
・角田光代 『愛がなんだ』
友人がこの作品の映画の話をしていて、絶対見ると決めていたが、結局原作の方を読んでしまった。
「自分は映画観るより小説読むほうが精神的障壁が少ない」ということに気付かされる。小説は合計の時間はかかるけど、映画なら確定で2時間近く拘束されるところを、数日かけてちょびちょび消化できるのが利点だろうか。(本当は小説も一気に読むべきかもしれないが、そこは何故か許されると思う。)
内容についてだが、辛く刺さる部分が多かった。
「マモちゃん」を偏愛してしまうテルコさん。好きになりすぎて社会生活もままならなくなってしまう。
片思いしてる人間は本当にどうしようもない。最初から最後まで、「どうしようもないよー!!!」とデカい声で叫んでいるような小説だった。
なんか音がすごい!!
音を聞いてほしい。楽器とかよくわからないけど、謎の音が重なりまくって美しい。
米津さんはこういう「退廃した世界」を思わせるような歌詞をよく書く気がする。世界観だけでなんかエモいもんね。
何もかも無くなってみんな死んじゃったけど、それが「優しい未来」だそうです。
・又吉直樹『劇場』
映画観て震えたので小説も読んだ。劇作家の話です。
プライドは高いけど才能もなくて努力もできない。嫉妬深い。上手く話せない。上手く生きられない。
そういう苦悩を丸ごと背負ったまま沙希ちゃんにもたれかかって生きていく。カスみたいに感じてしまうけど、こいつはこうやって生きていくしかない。
後半の青山とのやりとりと「つまんない人だな」というセリフが良かった。
歌詞が好き。
とてつもなく孤独で寂しい夜だけど、これから何でもできるような希望も感じさせる。結局「お前」「兄弟」「相棒」は何者なんだろうか。もう一人の自分だと思っていたけれど、案外普通に兄弟なのかもしれない。
「僕ら手をたたいて笑い合う 誰にも知られないまま」のところとかめっちゃ好き。夜の闇に、思い出が溶けていくイメージが完璧に表現できていると思う。
「お前がどっかに消えた朝」とかもいいなあ。簡単なフレーズなのに、物語を喚起させるのがバカ上手い。
・森見登美彦 『四畳半タイムマシンブルース』
高校物理部の親友からのラインを半年間無視してたらこの本の画像と「アニメ化したら見てくれ」というメッセージが送られてきた。
こういう作品が人間関係をつなぎ留めてくれるのはなんか嬉しい。
内容は「もし四畳半神話体系の世界にタイムマシンが出現したら?」みたいな、とりあえず面白そうなものバチコリ合わせておけば面白いやろ?みたいな主張だった。
アイマス架空戦記とかに近い。キャラがもう好きだから、何やっても面白いんだよなあ。
読むときにどうしてもアニメのキャラ絵が頭に浮かんでくるのが厄介だった。特に樋口師匠とかは化け物みたいな風体なので、どうしても人間としてイメージできない。
米津玄師的な恋愛観が色濃く出ている。
「揺れながら踊るその髪の黒が他のどれより嫋やかでした
すっと消えそうな真っ白い肌によく似合ってました」
この2行、その女性がどれだけ美しく(美しく見えている)かを表現するのに十分すぎる。
恋の中で自分だけがぬるく沈んでいく。
この曲で「あなた」は髪を揺らしてふっと笑っただけ。
それでも自分は沈んで沈んで、嵐が吹き荒れ、雷に打たれ、枯れて痛んで粉々になる。
そこまでか?って思うほどボロボロで笑うしかない。笑ってあげましょう。
・村上春樹 『一人称単数』
昔から村上春樹のファンなので、新刊が出たら買っている。短編集です。
今回はキレました。
こんなキャッチーなタイトルで綺麗な表紙に美しい女性なんて描いてたりしたら、例えば中学生が「おっなんか面白そうだな」って買ってしまうかもしれない。それで村上春樹を嫌いになってしまう。
この本は最初から最後まで、全然面白くない。村上春樹の短編なんて基本的につまらない。わけわからん雰囲気系の話か、洋楽の解説をダラダラ書いているだけ。
それでもまあ読んでもいいかと思えるアホなファンだけが読めばいいのに。罪のない一般人を巻き込むのは辞めてほしい。
本当のこと言うと、「品川猿の告白」はちょっと面白かった。マジモンの猿と旅館で語り明かす話だった。
死んでしまった友に思いを馳せながら生きていく曲。
綺麗な言葉が多くて、思わず口にしてみたくなる。
「リンドウの花」とか「月光蟲」とか「あの人の言う通り」とか。
「カムパネルラ」って名前自体も、なんか言いたくなる。なんだカンパネルラって。名前としておかしくないか。
言いたいフレーズの多さで言うとFlamingoとかの方が顕著かも。そっちを聞いてほしい。
・又吉直樹 『人間』
『劇場』がハマったので次回作も読んでみた。
今回は漫画家?みたいな人の話。小規模に売れて自分の支えになっていた作品が実は……みたいな。
後半は今までの登場人物が本当に存在するかも疑わしくなってくる。結局どこに落ち着いたのか、あんまり憶えていない。
「人間が拙い」というワンフレーズに「私も人間が拙いなあ」と無理矢理共感することはできるけど、それは最終防衛ラインみたいなもので、それだけ感じても意味ないでしょう。
「君みたいに優しくなりたいだけ」 とかのフレーズが気に入ってます。
米津さんの歌詞に登場する男は卑屈で弱くて悲観的。だから好き。
社会人なりたての研修の時に、同じグループだった名前のインパクトが強い女性が薦めてくれた本。3年越しに書店で見かけたので読んでみた。
「擬宝珠纏」くらいインパクト強い名前だった。書きたいけど検索に引っかかるとまずいので書けません。
大がかりな仕掛けがある推理小説。いわゆるどんでん返し系。
凄いのはわかるけど、ギミックが激し過ぎて若干引いてしまった。こういうのじゃないんだよな……。
朝井リョウ原作の映画『何者』の主題歌。
曲だけで好きになるは多分無理なので、映画を見てほしい。
有村架純に「拓人」って呼ばれるのがキツいので私はこの映画を評価できないけれど。
やっぱり原作を読んでほしい。朝井リョウのお家芸である「本が読者を攻撃してくる系」の小説で、原点にして頂点です。
・凪良ゆう『流浪の月』
本屋大賞!!
読む本に迷っている奴は本屋大賞受賞作を読め!絶対ハズレがない。
誘拐された経験のある女性のその後の人生についての話。
「世間から外れた人たち」の話だけど、「世間から外れた枠」の中でもメインの二人は美しすぎないか?
ここでは美しい物語にまとめ上げられているけれど、現実ではもっと滅茶滅茶な人生送ってるだろうな、と思うと悲しくなります。
小説もそうだけど、ドラマとかニュースとかコントとか見てても、ストーカーとかロリコンに共感して同情してしまう。別にストーカーでもロリコンでもないんだけど。断じて。
日記のあとがき
本当は小説を書きたかったのですが、どうしてもできなかったので日記にしました。
読み返してみると全然言いたいことが表現できていなかったように思えたので、野暮ですが”後書き”です。
やっぱり文章を書くのは難しい。書きたいことの半分くらいしか書いていないように思います。それでも冗長な文章にするのが怖くて、これ以上書けなくなりました。
日記はこちら↓
最後に「フィクション」と書きましたが、「和光市に住んでいる」ことと「唾を吐いた」こと以外は基本的に普通の日記と思ってもらって大丈夫です。
「なぜ私が唾を吐いたか」について書きます。
結局は「私を見てほしい」という人間の根源的な欲求からくるものです。
私は”男”の話を聞いて、どういう人なのか、何を思っているのか、どこが良くてどこがダメなのか……などとずっと考えていました。
時には自分と男を重ねつつ、聞こえない部分は想像で補ったりして、男の人生や考え方に思いを馳せていました。
唾を吐くシーンの少し前、私は男が”いい人”であることを認識し、それを私、男、女の3人で「共有している」ように感じています。
それでいい気分になって帰ろうとしていました。
しかし立ち上がって帰ろうとしてみると、もちろん女は男にしか意識は向いていないし、男の方は後頭部しか見えない。(=私を全く見ていない)
意識の共有などは当然されていなくて、私のことは目の端にすら入っていなかった。
そこで「私を見てくれ」というどうしようもない願いが突如湧き上がってきて、何をすればいいかわからなかった私は唾を吐いて男を振り向かせることにしたのです。
男の話に登場したのは「金持ち」や「医者」や「インスタグラマー」です。
男はそういう奴らと男自身を対比させて、「彼らとは違って自分はもっと人間の生活に根差した生き方をしている。」という主張で女にアピールしているように感じました。
女もそれを感じてリラックスして話ができるかも……と思っていたようでした。
彼らはそういう「金持ち」とかの「浮ついた生活をしている人たち」との対立の中に自分の価値を見出しています。私のような存在は彼らのアイデンティティには全く寄与しない。
こんなにも私は男のことを考えているのに、私は彼らにとって「ドトールにいた人」として認識されることすらありません。
普通に生活していて、自分が世の中と関われる機会はそんなに多くありません。
それは仕方ないことなのですが、どうしてもやりきれなくなる瞬間というのもあります。
私はみんなを愛しているのに。世界は私を見つけてくれない。寂しいですね。
十年くらい前に兄に聞いた話をします。
兄は大学1年生でした。同級生(サークルの友達?)5人くらいで歩きながら喋っていたのですが、兄は会話の輪に入れていませんでした。会話の内容的に同級生の一人が何か凄いことをして褒める流れだったようですが、兄はどうしてもそれが気に入らなかった。
そこで兄は突然「手を振り回して奇声をあげてどこかに走っていく」という行動に出たそうです。
兄は私と同じで自意識が非常に強く、自分が見られていないことに急に耐えられなくなったんだと思います。
かなり省略して書いたので(内容も正確ではないので)かなり兄がヤバい人のように映るかもしれませんが、そんなことありません。兄はいたって普通の人です。
誰でも「世界に認められたい」という願望は胸の奥にあります。「今まで押さえつけていたその願望が耐えられなくなって、唐突に飛び出してきしまった」というだけの話でしょう。
自分にはまだそういう瞬間は訪れていない。でもいつか唐突に耐えられなくなるかもしれない。もし耐えられなくなったら、自分は何をするのだろう。
そう考えて、「唾を吐く」という展開にしてみました。
今の時代はTwitterやこういうブログとかで、世界と繋がる機会は格段に増えたように思います。それでもでもどうしても、日常生活のふとした場面で「本質的な孤独」が顔を出すこともあります。
これはどうしようもないことで、人間というのはどうしようもないな、という話でした。
あとがきのあとがき
読み返してみたら、兄の話は少し主題が違ったかもしれません。兄が奇行に走ったのは「会話の輪にはいれていない自分」を「会話の輪に入れていない可哀そうなやつだ」と周りの人に思われるのが我慢できなかったのが主な理由なのかも。そう思われるくらいなら「やばい奴」の方がまだましだと考えたんじゃないでしょうか。
唾を吐く
8/10(月) 日記
私は飯田橋にある大学に通っていた。
当時大学の自習室や図書室はなんとなく居心地が悪く、読書や勉強をする際には付近のチェーン店のカフェを利用していた。ドトールとかヴェローチェとかタリーズとか、はたまた別のドトールとか。
大学を卒業して3年と少し経った今でも、何か集中して読みたい本があったりすると飯田橋を訪れる。行きつけだった数店舗は潰れることもなく全て同じ場所にある。変わったのは喫煙席が無くなったことくらいだが、これは私にとってメリットしかない。
この日は特に読みたい本があったわけではないが、考え事をしたい気分だったので飯田橋を訪れることにした。
自宅のある和光市から有楽町線で飯田橋へ向かう。地下鉄を降り、いつも通りB3出口から地上に上がろうとしたが、西口に新駅舎が完成したことを思い出してそちらへ周ってみる。
駅舎は確かに新しくなっていたが、特に珍しくもない近代的な黒塗りの建物だった。四ツ谷駅に似ているように感じた。
駅前には浴衣を着た数人の男女がいたが、どこかで祭りをやっているわけでもないだろう。とするとこの人たちは「今日浴衣を着て遊ぶ!」と決めて実行したということになる。尊敬に値する。
炎天下だったこともあり、私は数秒でその場を離れた。
やっぱり本が読みたくなったので遠野遥さんの『破局』を買い、大学の隣のドトールに入った。この店は3階建てだから好きだ。3階建ての店は総じて3階が空いているから好き。
思惑通り空いていたので、壁際の一人掛けソファに座れた。
隣では同世代くらいの女性がデザイン系の本を読んでいる。美大か何かの教科書だろう。
窓の外に神楽坂の昼の往来がよく見える。
胸の大部分をさらけ出した外国人女性は暑さで顔が赤い。ベタベタ感が3階の私まで伝わってくる。若い夫婦が3歳くらいの子供の手を引いて道路を渡っている。ほとんど進んでないようなペースで歩く老人の脇をリュックの大学生がすっと抜かして、そのまま一定の速度で坂を上っていく。
「休日はカフェで窓の外を見て人間観察をするのが趣味」と言っているような女性のことを馬鹿にしていじり倒している映像の微かな記憶がある。テレビだったか、Twitterだったか、コントだったかは忘れた。私も概ね賛同していたはずだ。
鞄から本を取り出した。椅子の位置を変えてソファに深く腰掛け、ページを開く。
小説もそろそろ後半に差し掛かるというとき、後ろで話している声が気になった。
男女の声。男の方は声が大きい。
住んでいる場所の話とか、休日にやることの話をしている。話の感じからすると、まだ初対面かもしれない。マッチングアプリなどで繋がって、まずはこういうカフェで会う。多分そのパターンだろう。トイレの場所を確認するふりをしてちらっと後ろを見る。
男は港区のマンションに住んでいるサラリーマンだ。外資系っぽい。なんとなくそんな雰囲気がある。清潔感を凝縮したような真っ白いTシャツを着ている。シンプルだがいい服だということが一目でわかる。髪型は中央分けで対象に整えられ、ツヤツヤと光っている。おるたなチャンネルのないとーさんに似ている。
男の声は断片的にしか聞こえない。
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――
休日はこうやって人と会うこともあるけれど、大抵は一人で過ごしている。会社の同僚にボルダリングやフットサルに誘われることも多いが、なかなか足が向かない。スポーツは好きだけど、その後に明け方まで飲み続けるのが苦痛だからだ。家の近くで運動できる施設を探したこともあるが、金持ちばかりで馴染めなかった。
旅行が趣味だったが最近はどこにも行っていない。彼女でもいればいいんだけど、一人ではどうにも。
こうやって女性と会うとこもあるが頻度は全然多くない。出会いの場は様々で、アプリで女性を探すこともある。30にもなってるわけだし、落ち着いて話せる人を探しているんだけど、会ってみるとバリバリのインスタグラマー(笑)が多い。そういう人ってなんで「いいね」してくるのかな。それで普通にサラリーマンやってるって言うと女の子に驚かれる。普段どんな人たちと会ってるんだろうね、この世に社長と医者しかいないと思ってるのかな。
――
――――――
女の方はそんなに声が大きくないため、何を言っているかはわからない。時々、男の話に笑い声を合わせているのだけが聞こえる。
女の話にも男は丁寧に相槌を打ち、大いに賛同しているのはわかる。内容はよく聞き取れない。
一旦本をテーブルに置き、スマホで時間を確認する。
隣の美大生は例のデザインの教科書には飽きたのか、MacBookを膝の上にのせて動画を見ている。目と画面が近くて心配になる。
窓の外には変わらずに神楽坂を流れる人が映っている。みんなが幸せになればいいと思う。
そのまま1時間くらいかけて小説の残りを読んだ。読み終わって静かに感傷に浸っていればいいのに、すぐに賞の選評なんかを調べてしまう。自分が全く気付かなかった読み方が前提事項のように書かれているとドキドキする。特にこの小説が気に入ったわけでもないが、「肉体からの言葉で書かれていない」みたいな抽象的で的を射る気がない批判には腹が立つ。具体的な批判は理解できないのが怖いので、適当に読み飛ばす。
後ろではまだ先ほどの男女が話している。最初に比べるとかなり打ち解けたようだ。不自然に大きかった男の声は、気にならないレベルまでトーンダウンしている。高校のバスケ部の話や、ここ数年の旅行、恋愛観や結婚観なんかを話しているのは聞こえた。そうやって仲を深めると良い。男の謙虚で気取らない話には好感が持てるし、女も楽しそうにしているのが伝わってきた。男は“いい人”の基準をすべての項目で越えている、合格点だ。私も、女も、男も、それを感じて意識しているように思えた。
この店に入ってから3時間近く経っていた。本も読み終わったし、そろそろ出よう。私は鞄を持って立ち上がった。隣の席の美大生はもういなかった。
初めて女の姿が確認できた。男の顔だけを見て話を聞いている。肌は白く、男と同じように服も白く輝いていた。確かな強い線で描かれたような顔だった。
男の後ろを通る。綺麗に刈り上げられたえりあしと、健康的な色の首筋だ。
立ち止まった。
私は口の中にたまっている唾を、その男の首筋に向かって吐きかけた。
唾は男の首の左側とTシャツの肩のあたりに付着した。
「えっ」と女が声を上げて口を押えた。男はバッと振り返る。私と目が合って、状況に気付く。
「ちょっと!え!?どういうこと?」
男もさすがに驚いて興奮している。私も自分がやったことを理解し始める。
この男に唾をかけた?誰が?私が?
なんてことをしてしまったんだ、なんてことを……。みるみる顔が紅潮していくのがわかった。
そこからはひたすらに謝った。男は最初こそ興奮していたが、すぐに冷静さを取り戻して適切に対処した。女が差し出したハンカチを断って紙ナプキンを取ってきて首を拭いた。自分の体以外に唾が飛んでいないことを確認した。女に「大丈夫、大丈夫」と微笑みかける。
私は何もすることができず、「すみません」と「ごめんなさい」を繰り返しているしかなかった。
私がいつまでも謝り続けるから、男も「大丈夫だから、そんな気にしないで」と呆れたように言った。
クリーニング代にと1万円札を渡そうとしたが、どうしても男は受け取らなかった。私は何度目かわからない「すみませんでした」を言って、階段を降りて店を出た。
あまり記憶にはないが、そのまますぐ地下鉄に乗ったのだと思う。
「次は和光市」というアナウンスに顔を上げると、車窓にはオレンジ色の光景が広がっていた。和光市の住宅街が夕日に染まっていた。平屋の1戸建てや、2階建てのアパートが立ち並ぶだけの街。すべての建物が等しくオレンジ色に染められようとしていた。
なぜ私はあんなことをしたのか。
私はあの男女をひがんでいたわけではない。男も嫌な奴ではなかったはずだ。全く悪意は持っていなかった。
あの二人が本当に上手くいけばいいと思っていた。
あの時の私は意識がなかったのか。わからない。自分じゃない誰かの意思でやっていた気もするし、明確に自分の意志でやったようにも思える。
自宅に着いて鏡を見た。首から耳まで赤く染まったままで、口や目がヒクヒクと動いている。その顔は自分のものではないみたいだった。
怖くなって布団にくるまって目をつぶる。
「大丈夫だから、そんな気にしないで」という、あの男の溜息交じりの声が聞こえた気がした。
この日記はフィクションです。
もう一度映画ドラえもんに向き合う
映画ドラえもんを真剣に観たい。
GWになんとなくアマゾンプライムで「新・日本誕生」を観た。
幼少期には家に旧ドラの日本誕生のビデオがあって何度も見返していた。思い出の作品だし新作も一応観ておくか、くらいの気持ちである。
そういうスタンスで見始めたもんだから、全然没頭できない。
途中でスマホをいじったりご飯を食べたりしながら、ぼんやりと最後まで画面を眺めていた。
感想も特に湧いてこない。「昔よりしっかりした構成だった」くらいしかない。「面白かった」とも「面白くなかった」とも言えない。ただ「観ました」ってだけ。
こうじゃない。私がドラえもんに真摯に向き合わないでどうする。
以前の記事にも書いたが、昔の私はドラえもんが好きだった。
原作もアニメも映画も好きだった。旧ドラも新ドラも等しく好きだった。
今の私は、「昔ドラえもんが好きだった人」になってしまっている。
アニメは全く見ていない。原作を読むこともない。新作の映画も4年に1回くらいしか観ていない。
好きの気持ちは昔のようにはいかないけれど。最低限、好きだった気持ちはこれからも大切にして生きていきたい。
というわけで、リベンジを誓った。もう一本別の作品を真剣に観てみよう。
そして選んだのが、これ。
漫画版の原作は小学生のころに穴が開くほど読み込んだ。
原作は間違いない名作だ。これは大長編ドラえもん3作目にあたり、最も脂がのっている時期の作品だと思う。
(個人的に3~5作目の「大魔境」「海底鬼岩城」「魔界大冒険」が”三傑”)
このリメイク版も、そこそこ評判はいい。期待している。
まず、下準備。
1、TVアニメ版のドラえもんを観る。
映画ドラえもんはTV版のドラえもんの延長線上にあるものだ。普段の生活があってこそ、特別な冒険がある。のび太は世界を救いまくるヒーローではなく、怠惰な小学生だ。それを受け入れて、改めてキャラクターや設定を好きになる必要がある。
netflixとかで観れる数話分のアニメを見た。キャラを好きになる、という観点ではクリアしたと思う。アニメオリジナルとしては「トリセツメーカー」がなかなか良かった。「SNワッペン」の回が絶対許せない出来だった。
(情けないことに会社や通勤の電車でドラえもんを観ているのが不自然に感じる。AV観ているほうがまだ自然かもしれない。)
2、予告編を観る
ドラえもん映画はワクワク感が大事。リピート再生して気持ちを仕上げていった。
新鮮な気持ちで観たいので原作は読み返さなかった。
3、体のコンディションを整える
上の2つを遂行して気持ち的には金曜夜に出来上がっていた。
でも仕事終わりで寝不足状態のまま臨むのはよろしくない。
しっかり就寝し、土曜の朝まで我慢した。
朝ご飯を食べて、スマホの電源を切って、ソファに座っていざ勝負。
結論
めっちゃよかった。集中できた。ワクワクすべき場面でワクワク、ハラハラすべき場面でハラハラできた。
ドラえもん好き。のび太もジャイアンもスネ夫もしずかちゃんも好き。
私はまだドラえもん好きの少年に戻れる可能性があるかもしれない。
もっと諦めずに色んな作品に挑戦していきたいと思う。自分の感受性を過小評価してはいけない。
調子に乗って南海大冒険も観てみた。何も感じなかった。またTV版からやり直さなきゃ。
以降感想
映画観てる人だけに向けて。(いないかも……)
かなり雑です。
ジャングル探検物語→異世界物語の完全な二部構成で、前半はワクワク、後半はハラハラの黄金パターン。
そして潔いほどの原作準拠。ここまでやらなくてもいいのに……って思うほどに原作に忠実。
この映画は「ジャイアンが主人公みたいなもの」と各所で囁かれていたが、本当にジャイアンが主人公だった。
最初から最後までジャイアンの心情に寄り添った描き方。素晴らしい。
シーンごとに
・最初のペコのシーン
後ろを走っている電車は京浜東北線?のび太の街は練馬あたりなので普通なら通らない気がするが。港から練馬方向に向かって移動している途中なのかな。
・空地でのジャイスネのびの会話
ラムネとジュースが不自然に感じた。普段ののび太たちは遊ぶときにみんなでジュース買ったりはしない気がする。
思うに、ジャイスネはのび太に会う前に作戦会議をしていたはずだ。「のび太を言いくるめて、ドラえもんに冒険に連れて行ってもらえるように頼ませよう」という作戦。
そのためのアイテムとして、ジュースがある。
ただ口で言いくるめるよりも、ジュースを奢って言いくるめるほうが”面白い”。なんか大人っぽいじゃん?スネ夫もジャイアンもそう感じたはずだ。
もちろん殴って言うことを聞かせるよりもこの作戦の方が面白い。だからスネ夫はのび太にジュース代出すのも厭わないし、ついでにジャイアンの分も払わされても何とも思わない。
・のび太の部屋シーン
ドラえもんが圧倒的にかわいい。どうぞ好きになってくださいって感じ。
部屋のリアルな乱雑さも映画ならでは。「あやとり」の本があるのが面白い。
・ペコ飼う
短いが、「ペコのいる生活」を大事にしてくれている。楽しい。
・出木杉の家に行く
伝統芸能である出木杉ハブ。テンション上がって出木杉邸を飛び出すシーンも、一層ハブりを強調しているように感じる。本当に必要か?
もしかしたら、次の点呼シーンでの「5」の正体に出木杉という可能性を残したいがための登場かもしれない。そのためだけに利用されているとしても酷いけど。
・猛獣シーン
ちょっと危なすぎじゃないか?と感じてしまった。
ここ以外にも今回、ワニのシーン、ライオンのシーン、最後の戦闘シーンなどで「命の危険」を感じることが多くあった。
どれも「普通なら死んでるレベル」まで危険なことをしていて、そういうシーンが多発するため、逆に全体としての緊迫感が削がれていた。
ライオンや戦闘のとこに最大緊迫感を持っていきたいので、出来れば他のシーンはもう少し緩めにしてほしい。
・ジャイアンへそ曲げ
ここの表情最高。演技も最高。あんまり比べるのは好きじゃないが、このシーンのジャイアンの演技は旧ドラの100倍上手いと思う。旧ドラ派の人はぜひ見てほしい。
ジャイアン邸でムク(犬)をチラ見せしているのもニクい。
・村追い出されてキャンプ
やはりジャイアンが素晴らしい。「俺のせいだってのかよ!!!」でのびドラスネしずが一様にビビってる中、ペコが動じていないのもいい。あきれた表情がキャワ。
そして泣きシーン。ジャイアンの弱さをこんなに表現してくれてる作品は他にない。これ絶対ジャイアン好きになる。
・ペコ正体告白
ペコが2足歩行して、頭身が急に変わったように感じる。
確かに前半はペコの可愛さを出さなきゃいけないから大きくできないし、後半は頼もしさを出すために小さくできない。際どいギリギリの大きさだと思う。
ちなみに鯉で川登るシーンでは原作にあった
ペコ「なんかいい道具あるでしょ」
ドラ「すっかりあてにしちゃって」
というセリフがカットされている。(記憶違いだったらごめん。)
ペコがもうドラたちの友達だと感じられる、好きなセリフだったので悲しい。
だがこの物語ではペコが真の意味でドラたちの友達になるのは、クライマックスのジャングルでの決起シーンなんだ。それまでペコはドラえもん達に頼りつつも、どこか「自分の力でなんとかしなくては」という意識を持っていた。ここではまだ過剰な仲間感は必要ないのだ。
・チッポ登場からの戦闘
COWCOWが死ぬほど下手で悲しい。スピアナ姫もかなり違和感。
劇場版の声優下手問題って昔からあるけどどうにもならないんだろうなあ。
最近のドラえもんは最低限メインのゲストキャラ(今回で言うとペコ)にはちゃんとした声優を使ってくれるからまだマシかもしれない。
・馬車での移動中にサベールに見つかりそうになる
サベールの強キャラ感が存分に出てて良い。だがここまでやっておいて結局ペコとは戦わずにのび太が倒すってのもどうなんだろう……。
「変身ドリンク」みたいなマイナー道具が唐突に登場するのも映画ドラえもんの醍醐味だと思う。
・夜のペコとのび太の会話
映画恒例の”のび太カウンセリング”。
ペコは自信がなくなり、責任感に押しつぶされそうになる。それに対するのび太の答えは頓珍漢で、的を射ない。
でもこういう状況だからこそ、ペコはのび太の馬鹿話に救われる。
特に根本的な解決にはなっていないけど、「きっとうまくいくだろう」という気持ちにさせてくれる、のび太式カウンセリング術。
・森で砲撃始まる
負けを悟った時のペコの顔が何とも言えない。
そして逃げ道を落ち着いて説明する。
序盤から散りばめられていた、ペコの「大人的表情」はすべてここに繋がる。
ペコには最初から「この子たちを守らなければならない」という保護者的な視点があった。そういう意識の違いから、ペコもまたずっと孤独だった。
自分を犠牲にして責任は最後まで果たす。強すぎるぞペコ。
・BGMのみでジャイアンとペコの言い合い
ここ!!
最高すぎる!!!
ペコはやはりさっきの「保護者的視点」でジャイアンを戻そうとした。「馬鹿なことを言うな、危ないから帰れ!」と。初めてキバを見せて、本気で止めようとする。
そこでジャイアンは殴る。
「一人で全部抱えてんじゃねえ!友達だろうが!!」
いやー。しびれる。いい男だねジャイアン。
ペコもジャイアンを舐めてたことに気付き、認め合う。素晴らしい。
ちなみにこれ、ワンピースのアラバスタ編でのビビとルフィとめっちゃ似てる。
「俺たちの命くらい一緒に懸けてみろ。仲間だろうが!!」のシーンと全く同じだ。
・全員集合、決起シーン
名セリフ、「これから何が起こるにしても、僕らはずーと一緒だよ」
漫画では全員絵でのび太のこのセリフ⇒ジャイアンが泣くコマになっている。
つまりのび太のこの言葉によってジャイアンもペコも救われたのだと思っていた。
でも今作では、ジャイアンにカメラを向けたままこのセリフが流れる。言う前から、ジャイアンは泣いていて、心が溶かされているのを感じる。
全員が再び一緒になり、顔を見合わせた時には仲間の心強さや絆を肌で感じていた。
だからのび太の「そうだよみんな一緒だよ」くらいの軽い言葉でジャイアンは泣いてしまう。
私が思っていたよりもワンテンポ早く、ジャイアンは救われていた。
ちなみに 10年くらい前のドラえもん映画で全く同じセリフが登場して、「勝手に大魔境のセリフを使うな!」と私が憤慨していた記憶がある。
・戦闘シーン
ドラえもんのマントは要らないと思う。猛獣誘い寄せマントなのか?って気になってしまう。(ただでさえ赤のマントだからひらりマントと被ってるのに)
さっきも書いたけど、のび太vsサベールのシーン危なすぎる。あんだけサベール強キャラ感出してたんだから、電池切れのび太は10秒もたないはず。この戦闘あんまり意味ないし、スパッと偶然勝ってほしかった。
・巨神像の戦闘
破壊前に兵士逃げるシーン見せすぎじゃない?
人が死なないのを見せる必要があるのはわかるけど、そこはもっとご都合主義でいいと思う。うわーってはじき出されるくらいで。
逃げのせいで普通にテンポ悪くなってる気がした。
・スピアナ姫救出
街の人を動員させたのは良かった。
結局巨神像だけでええやん問題を解決してるし、チッポにも役割を与えられた。
でもやっぱり姫の声が……。
・10人の外国人の謎
ドラえもんはこういう時間移動系が多いので、すぐ自称考察勢が湧いてパラドックスがどうとか言い出すイメージ。
もちろんこういう問題を考えるのは大事だし面白いけど、ドラえもんの本質ではないということに留意していただきたい。
スネ夫の「ややこしい話」というセリフもそれを象徴している。
・お別れ
スピアナ姫の「よいのです」は本当にお前の役目か? ブルススを映すべきじゃないかとも思う。
いいように解釈すると、王子として気丈に生きてきたペコを一番理解しているのはスピアナ姫なんだろう。母親もいないみたいだし、幼いペコが甘えられる相手はスピアナ姉さんだけだったのかもしれない。
のび太との別れもいいが、正直最後のジャイアンの方が何倍も良い。
ペコが頬をポンポンする仕草、ジャイアンの「あばよ!」。
お互い認め合った男の間には余計な言葉は要らねえ。ペコもジャイアンもそれをわかっている。かっけえ。
・ラスト、空地にて
「僕たち、大人になってもこんな冒険できるかな」
今作オリジナルのセリフで、正直なぜここでこのシーンが必要だったのかわからない。
こんな冒険が”結局できなかった”我々には、こののび太の気持ちは理解できないのかもしれない。
そしてドラえもんにしては珍しく、「冒険は続く」的な終わり方。感傷的な別れがあったのに、明るく希望を残して幕を閉じる。最高の締め方だと思う。
やっぱり完全にジャイアン中心で観てしまった。
良い映画だった。おわり!!!