全て真夜中のたくらだ

日記を続けられたことがないので、3日分溜まってから投稿しようと思います。

 

溜まったので投稿します。

 

 

3月31日

午前0時。食べたくもないカップ麺を食べながらこれを書いている。誰かが叱ってくれないかとふんわりと期待しているような自分に気付いてしまうことが、一層寂しさを際立たせる。

 

『マチネの終わりに』を読み始めた。

本屋で“映画化決定!”みたいな帯を見て、「映画公開前に読んどくか」くらいの気持ちで買ったけど、調べてみたら映画は去年の11月に公開されていた。

 

この小説、ギタリスト男性とジャーナリスト女性の恋愛小説で、それはもう美しい恋愛をしていらっしゃる。序盤からずっと2人魅力が溢れまくり、展開や主張も明快で読みやすい。

 

ただ、二人がほぼ“40歳”なのがどうしても気になる。

まだ子供の私には40歳の恋愛を直視できない。

結婚や子供や金銭や社会的地位などの世俗的問題から目を背けてしまう。肉体的にも明らかに下り坂な年齢である2人が愛し合い始めることをどこか不思議に感じてしまう。

その自分の稚拙さ、経験のなさ、浅ましさ、卑しさが気になって、物語に心から入り込むことができない。

今までの人生、恋愛の美しい(と、感じやすい)部分だけを切り取って享受しようとしてきた。その愚かさは理解していたはずだが、再度突きつけられると辛い。私は愚か。

 

そういえばずっと前に当ブログで紹介した(これ)『勝手にふるえてろ』でも同じような感情を抱いたはず。私は何も変わっていない。

「あなたの恋愛はそんなに美しくはないけれど、人を愛するのは美しいことだ」

 

続きは明日読む。

 

 

 

4月1日

 

春の雨は気持ちが暖かくなるから好き。今日は寒かったけど。

 

ちゃんとした人間になりたくて、掃除道具をいくつか買ってきた。“鏡がピカピカになるグッズ”を試してみたけれど、ピカピカにはならなかった。

“洗濯機が綺麗になる粉”も使ってみたけど、粉を入れて洗濯機を回しただけなので変化が分からない。そもそも汚れていたのかも知らない。

 

『マチネの終わりに』は、中盤まで読んだら昨日みたいなことは気にせずに没頭できるようになってきたが、昨日感じたことは心に留めておきたい。

 

部屋の掃除をするついでに例の“写真”を捨てようと思ったが、どうしても捨てられない。誰かにもらってほしい。

 

ハリーポッターを見たせいで、誰彼構わず「ステューピファイ」したくなる。

 

かるたがしたい。ぷよの大会に出たい。ぷよカップがしたい。

髪を切りに行けないのが地味につらい。

カラオケに行きたい。(普段全く行かないのに、禁止されると行きたくなる)

早く収まってほしい。

 

 

 

4月2日

 

何もやる気になれないので部屋の掃除をしている。私らしくない。

 

粗大ごみとテレビの回収を申し込んだ。半年前に新しいテレビに買い替えてから、10年物の古いテレビはずっと玄関先で障害物になっていた。

特許研の部室に持ち込んでスマブラに使ったり、理大祭やTOP合宿で何度も連れまわしたりした。

思い出深いテレビだがこの半年間本当に邪魔だったので、特に感慨深くはない。晴れやかな気分で別れられそうだ。

 

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ちょっと前、謎セールスのお兄さんが来た。玄関に上がり込んで来るや否や、靴箱の上のドラえもんのぬいぐるみを見て「ドラえもんかわいいですね。いい部屋ですね。」と褒められた。段ボールの束や不自然な場所に置かれたテレビは全く見えてないかのようだった。

おそらくセールス業界では“部屋に入ったら玄関の何かを褒める”と相場が決まっているのだろう。

そしてこの部屋の“いい部屋要素”はドラえもんのぬいぐるみくらいしかないと瞬時に見切られてしまった。

それはそうなのだが、それではドラえもんがあまりに不憫ではないか。私はなんとなく憤慨して、部屋を綺麗にしておこうと心に決めた。

 

というのが2カ月ほど前の話である。何かを思い立っても、行動に移すのには時間がかかる。それで得することはほとんどない。(しかも、ほとんどは結局行動しない。)

 

 

 

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劇場版SHIROBAKOを観てからずっと聞いている。

「僕ら魔法の靴を履き潰して走り回る」って出だしが最高。