日記のあとがき
本当は小説を書きたかったのですが、どうしてもできなかったので日記にしました。
読み返してみると全然言いたいことが表現できていなかったように思えたので、野暮ですが”後書き”です。
やっぱり文章を書くのは難しい。書きたいことの半分くらいしか書いていないように思います。それでも冗長な文章にするのが怖くて、これ以上書けなくなりました。
日記はこちら↓
最後に「フィクション」と書きましたが、「和光市に住んでいる」ことと「唾を吐いた」こと以外は基本的に普通の日記と思ってもらって大丈夫です。
「なぜ私が唾を吐いたか」について書きます。
結局は「私を見てほしい」という人間の根源的な欲求からくるものです。
私は”男”の話を聞いて、どういう人なのか、何を思っているのか、どこが良くてどこがダメなのか……などとずっと考えていました。
時には自分と男を重ねつつ、聞こえない部分は想像で補ったりして、男の人生や考え方に思いを馳せていました。
唾を吐くシーンの少し前、私は男が”いい人”であることを認識し、それを私、男、女の3人で「共有している」ように感じています。
それでいい気分になって帰ろうとしていました。
しかし立ち上がって帰ろうとしてみると、もちろん女は男にしか意識は向いていないし、男の方は後頭部しか見えない。(=私を全く見ていない)
意識の共有などは当然されていなくて、私のことは目の端にすら入っていなかった。
そこで「私を見てくれ」というどうしようもない願いが突如湧き上がってきて、何をすればいいかわからなかった私は唾を吐いて男を振り向かせることにしたのです。
男の話に登場したのは「金持ち」や「医者」や「インスタグラマー」です。
男はそういう奴らと男自身を対比させて、「彼らとは違って自分はもっと人間の生活に根差した生き方をしている。」という主張で女にアピールしているように感じました。
女もそれを感じてリラックスして話ができるかも……と思っていたようでした。
彼らはそういう「金持ち」とかの「浮ついた生活をしている人たち」との対立の中に自分の価値を見出しています。私のような存在は彼らのアイデンティティには全く寄与しない。
こんなにも私は男のことを考えているのに、私は彼らにとって「ドトールにいた人」として認識されることすらありません。
普通に生活していて、自分が世の中と関われる機会はそんなに多くありません。
それは仕方ないことなのですが、どうしてもやりきれなくなる瞬間というのもあります。
私はみんなを愛しているのに。世界は私を見つけてくれない。寂しいですね。
十年くらい前に兄に聞いた話をします。
兄は大学1年生でした。同級生(サークルの友達?)5人くらいで歩きながら喋っていたのですが、兄は会話の輪に入れていませんでした。会話の内容的に同級生の一人が何か凄いことをして褒める流れだったようですが、兄はどうしてもそれが気に入らなかった。
そこで兄は突然「手を振り回して奇声をあげてどこかに走っていく」という行動に出たそうです。
兄は私と同じで自意識が非常に強く、自分が見られていないことに急に耐えられなくなったんだと思います。
かなり省略して書いたので(内容も正確ではないので)かなり兄がヤバい人のように映るかもしれませんが、そんなことありません。兄はいたって普通の人です。
誰でも「世界に認められたい」という願望は胸の奥にあります。「今まで押さえつけていたその願望が耐えられなくなって、唐突に飛び出してきしまった」というだけの話でしょう。
自分にはまだそういう瞬間は訪れていない。でもいつか唐突に耐えられなくなるかもしれない。もし耐えられなくなったら、自分は何をするのだろう。
そう考えて、「唾を吐く」という展開にしてみました。
今の時代はTwitterやこういうブログとかで、世界と繋がる機会は格段に増えたように思います。それでもでもどうしても、日常生活のふとした場面で「本質的な孤独」が顔を出すこともあります。
これはどうしようもないことで、人間というのはどうしようもないな、という話でした。
あとがきのあとがき
読み返してみたら、兄の話は少し主題が違ったかもしれません。兄が奇行に走ったのは「会話の輪にはいれていない自分」を「会話の輪に入れていない可哀そうなやつだ」と周りの人に思われるのが我慢できなかったのが主な理由なのかも。そう思われるくらいなら「やばい奴」の方がまだましだと考えたんじゃないでしょうか。