小学生が好き

私は小学生が好きです。

中学生も好きです。高校生も好きです。男女問わずに好きです。

 

さらに言うと、“かつて小学生だった人”のことも好きです。

隣に座っているおじさんも、嫌いな上司も、黒ギャルも、かつては皆が小学生であり、中学生だった。つまりみんなが大好きです。

 

 

誰もが自分だけの幼少期の物語を持っています。

どこに住んでいて、どんな子供だったか。どんな友達がいて、どんな先生が嫌いで、何をして遊んでいたか。何歳で何を始めて、何歳で何に気付いたのか。

私はそういう“その人だけの物語”が大好きです。

 

そういった物語には、以下の特徴があります。大好きの理由です。

 

  • 型(インターフェース)が決まっている。

ほとんどの人が小学生→中学生→高校生という流れの中で同種の体験をしています。勉強、習い事、初恋、受験、家族関係など、似たような枠組みの中でそれぞれが違った人生を経験してきています。大学生以降の人生では、このように一括りにすることはできません。

 

  • 結論が決まっている。

そして今につながる、という結論です。私は“過去と現在がつながる物語”が大好きです。(ほとんどの物語がある程度そういった性質を持っているでしょう。私はワンピースでは空島編が一番好きです。)

幼少期の経験は簡単にその人を変質させ、人生を大きく変えていきます。一般にはそれを“成長”と呼ぶのかもしれません。(私はあまりそう思いませんが……。詳しくはこちら

物語の全てがその人を形成するパーツになっていると思うとゾクゾクしてしまいます。

 

  • 適度に美化されている。

話し手が大人である場合はもちろん、話し手が現役中学生だった場合でも、聞き手である私が美化するので問題ありません。

 

 

 

ここまで大好き、大好きと繰り返したことで、私の愛は伝わったと思います。

では皆さん、お願いします。私にあなただけの物語を聞かせてください。話が下手でも、特別なエピソードがなくてもかまいません。だって大好きだから。

話してくれた方には普通の夕食くらいはおごります。食後のコーヒーくらいはつけます。連絡お待ちしています。

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここからはハイパー自分語りゾーンです。

私はもちろん他人の話を聞きたいのですが、自分の話をしたいという欲望もあります。

対面で話していると、そういう“私の話”は邪魔です。

他人の思い出を蘇らせるきっかけとなることもありますが、多くの場合それは時間軸や話のテーマをブレさせるだけです。

 

その対策として、まずここで私の欲をすべて吐き出します。

もちろん適度に美化されています。2000字くらいあるから覚悟してる人だけ読んでください。

 

  • 小1 船橋時代(4月~7月)

入学したのは船橋市立行田西小学校。1クラス24人で計2クラスの、どちらかと言えば小規模な学校でした。3か月しかいなかったので、学校のことは良く覚えていません。

一番大きなイベントは左手を骨折したことでしょうか。

5月か6月の夕暮れ、母に「もう遅いから行くな」と止められながらも、私は「公園に遊びに行く!」と言って家を飛び出しました。公園にはもう友達もおらず、一人で遊ぶしかありません。私はいつもなら使わない、“少し高い鉄棒”に上って一人で遊んでいました。そして、綺麗に落下。

直後には痛みはほとんどなく、「やっちゃったな」くらいに感じていました。しかし左手をよく見てみると、肘と手首の中間から大きく折れ曲がり、腕が絶対にあり得ない方向を向いています。

私は曲がった左腕を抑えて、「治れ、治れ」と念じながら家に走りました。

それから母の度肝を抜き、タクシーで病院に向かい、先生の鬼マッサージで骨を正しい位置に戻し(これが死ぬほど痛かった)、数ヶ月安静にしていたら治りました。

私の父はこの時の“鬼マッサージ”で私が泣き叫ぶ姿を見たのがトラウマになったらしく、今でもこの骨折の話をしたがりません。

 

そして、7月には長崎の小学校へ転校してしまいます。

当時一番仲の良かったNくんと4年前に会いましたが、音大で楽器をやっているそうです。たしかチェロかヴィオラだった気がする。コントラバスだったかも。

 

  • 小1~小2

この時期「宿題を出してくる先生は嫌いだ」と感じてしまったため、中学卒業まで9年間あらゆる先生を嫌いになってしまいました。

 

ハリーポッターが流行っていたため、「将来は魔法使いになる」と豪語していました。クリスマスプレゼントに“ニンバス2000”(ハリーが乗っている箒)をもらって、自宅の駐車場でピョンピョン跳ねて飛ぶ練習をしていました。今でもニンバス2000は私の家にあります。

 

ピアノを習い始めました。小4まで続けましたが、全然上達しませんでした。

 

黒いカラスに襲われる夢を見ました。カラスは私の腕を爪で引っかき、「お前も人の痛みが分かる人間になれ」と言っていました。

 

 

 

 

  • 小3~小4

公文を始めました。(国語と算数)

やる気がなくてプリント捨てたりしていました。賢い子供だったので自習スタイルは適していたと思います。

 

スイミングスクールに通い始めました。今思い返すと色々やってんなと思います。これも例のごとくやる気がなく上達しません。

スイミングスクールからは専用のスクールバスで帰っていました。友達も特にいなかったので、いつも一人で前から2番目の席に座って外を眺めていました。

ある日帰りのバスの中、運転手のおじさんが急に「今日は道が混んでるから迂回していくわ。みんなどこ?昭和町の人いるか?」と後ろの座席に問いかけました。

「おれ○○町!」「おれ○○!」と、子供たちは次々に自分が下りる場所を叫び出します。私はちょうどその“迂回されるところ”に住んでいたので、本当は運転手さんに言って降ろしてもらわないといけなかったのですが、周りの圧に押されて言い出せませんでした。

そのままバスは私の知らない土地へどんどんと進んでいきました。気持ちは完全に芥川龍之介の『トロッコ』です。長崎は山ばかりの地形なので、バスは山道をぐいぐい上ったり下りたりしています。

ついにバスから子供が全員いなくなり、私だけになりました。ここがどこかもわかりません。景色がすべて灰色に見えました。

運転手のおじさんがゆっくり後ろを振り返って、「さて、君はどこまで?」と聞いてくれました。私は自分の家の場所を告げると、運転手さんは何も言わずそこまで戻ってくれました。

 

 

クラスメイトのTさんが転校することになりました。Tさんは走るのが好きだったので、お別れ会でリレーをしました。お別れ会でTさんがアンカーとして華麗に走っているのを見て、胸が熱くなります。これが噂に聞く“恋”なのか、Tさんと別れる悲しみなのか、美しい走りを見た感動なのか、私には判断できませんでした。

 

 

国語の授業で「物語を作る」ことがありました。教科書に宝の地図と女の子と男の子の絵があって、それを見て自由にお話を作りましょう!的なアレです。

みんなありがちな展開(道順通り進んでいき、クマがいたらクマに襲われる、落とし穴があったらハマって助けてもらうなど)でお茶を濁す中、私はこれに全力で取り組みました。

謎に長い本名とあだ名(“アーザ”と“ハルー”だったと思う)、島が動く設定、新種の生物、島酔いするトラ、地図を完全に無視した進行、過去との繋がりなど……。

後に文集になったのですが、「話は面白いけど字が汚くて所々読めない」という感想がほとんどでした。

 

 

私と同じスイミングスクールに通っているMさんという子がいました。Mさんは度々私を馬鹿にして突っかかってくるため、正直好きではありませんでした。

そんなある日、というかバレンタインの日、帰りのバスの前にMさんが急に話しかけてきて、「これ余ったからあげる」と、チョコの詰め合わせを差し出してきました。

私は当然「ふーん余ったのか」と思ってチョコを受け取りました。

 

数か月後、道徳の授業で「班のみんなの良いところを発表しよう」という授業がありました。私はその時Mさんと同じ班だったのですが、私はMさんの良いところがどうしても思いつきません。そのまま“班の一人が代表して班のみんなの良いところを発表する”という流れになりました。うちの班は4人いて、私はじゃんけんで発表者を決めようと言ったのですが、他の3人が嫌だ嫌だとモゴモゴして決まりません。

そうしている間に私が先生に指名されてしましいました。しかし、どうしてもMさんの良いところが思いつきません。

そのうちにMさんは泣き出してしまいました。つられて私も泣き出してしまいました。大惨事です。その後どうなったかは覚えていません。

 

 

量が膨れ上がってきたので今回はここまでにします。次回は小学校高学年~中学生編をやります。このパターンで次回がちゃんと書かれたことはありません。

 

 

この記事はえちごさんとの会話をもとに書かれました。スペシャルサンクス。