続・小学生が好き

大変ありがたいことに、6人の方からそれぞれの人生のお話を伺うことができました。

内容は流石に言えませんが、他人の人生はとにかくどれも消化しにくい。噛み応えがあって脂身だらけです。

 

話を聞いてから1日は、ふと気を抜いた瞬間に意識を他人の過去に持っていかれたり、聞いたエピソードがそのまま夢に出てきたりします。

それでも、どれもエキサイティングで、唯一無二の輝かしい物語ばかりでした。

まだまだお話を聞かせてくれる方、募集してます。よろしく。

 

 

(前回の記事はこちら)

tacladder.hatenablog.com

 

 

前回の記事には思った以上に反響がありました。ありがとうございます。

後半の自分語りパートは「誰にも読まれなくてもいいや」くらいの気持ちで書いたのですが、気に入ってくれた方もいたようで非常に嬉しいです。

 

 

(1つ残念だったのは、話を引き出す能力が私に欠如していたことです。次回までに対策は考えておきます。)

 

 

 

さて、今回も私の小学生~高校生時代を語っていきます。

前回は時系列で話を進めていましたが、今回はトピックごとに語っていきます。 

 時系列的には小4~小5の夏くらいです。

 

 

ドラえもんと私

学校の図書室にドラえもんの全巻が入りました。

もともと昼休みは図書室で本を読むことが多かったのですが、この時からは暇な時間はいつも図書室でドラえもんに没頭するようになりました。

大人気コンテンツなので昼休みは争奪戦で、いつも1,2冊しか残っていません。その日何巻を読めるかはランダムでした。

合計では相当の時間ドラえもんを読んでいた自信がありますが、読んだことのない巻もあると思います。ランダムだったので。

家では大長編ドラえもん全集を1冊だけ持っていたので、それを繰り返し繰り返し読んでいました。(あまり漫画などを買わない家庭だったので、持っているものをずっとローテーションしていました。主にドラえもんこち亀、キャプテン、項羽と劉邦、ワンピース)

学校からの帰り道で脳内で最初からセリフを再現して、帰宅後に間違っていなかったかチェックする作業をしていました。

声優が変更したのがこの頃です。最初は違和感もありましたが、私にとっては絵柄(キャラデザなど)やストーリーが原作準拠になっていたのが嬉しく、すぐに新ドラ派になりました。

当時の担任の先生に「前の声優の方がよかった。ジャイアンに迫力がない。」みたいなことを言われてついつい同意してしまったのですが、よく考えると私は全然そんなことは思っていませんでした。同意してしまったことを激しく後悔し、訂正しに学校に戻るべきか迷いました。

 

 

 ・吹奏楽部と私

吹奏楽部に入りました。この頃の自分はまだチャレンジ精神に溢れていて、面白そうと思ったことにすぐ参加する人間でした。自分なら出来るだろう、という謎の自信もありました。

楽器はトランペットを選びました。(その頃の自分なら、ユーフォニアムとかアルトホルンみたいなちょいマイナー楽器選びがちなので、この判断は意外です。)

トランペットの音色は好きでした。爆発力というか突破力があります。脳天に突き抜ける高音に、一番興奮します。

ピアノをやっていたので、楽譜は読めました。新設の吹奏楽部でレベルが低かったため、楽譜通り吹ければもう上位陣になれました。

順調に上達していっていると思っていましたが、ある日顧問の先生に呼び出されました。そして「あなたの吹き方は喉が詰まっていて良くない」と言われ、吹き方の特別レッスンを受けました。話を聞いて自分の音や吹き方を見直してみると、確かに喉が閉まっていて音が詰まっています。

喉が閉まっていると、高音や大きい音を出すことが困難になります。つまり、私の好きな「突破力のある音」も、「脳天に突き抜ける高音」も出すことはできません。

それから日頃の練習でも意識するようにしていましたが、結局改善されませんでした。

 

小5の夏に小さな演奏会を開くために、春から新しい曲の練習が始まりました。私はどうにも身が入らず、練習時間も友達と消しバト(長崎での呼び方)をしたり、出来る曲ばかり吹いていました。合奏の時間にも、出来ない部分は吹いているフリをしてごまかしていました。

いよいよ演奏会一か月前になり、練習しないとやばい状況になりました。周りもメロディーが合うようになっていたので、私だけ大外ししていると目立ちます。もし単独で吹かされたりしたら、全く出来ないことが一発でバレてしまいます。

日に日に焦っていく私でしたが、丁度その頃に親の転勤により転校することが決まりました。

結局私はその曲をほとんど練習することなく吹奏楽部を去りました。

 

この一件から私が得た学びは、”絶望的状況でも、私は偶然なんとかなる”という悪魔の教訓でした。

 

 

 

 ・初恋と私

小学生の私は性格が明るく、友達も多くてクラスの中心的存在だったと自負しています。今となっては、……ですが。

ただ、前述の通り昼休みなどは外で遊ぶことは少なく、たいてい教室か図書室にいました。友達は多いけど、僕はサッカーやドッジボールはやりたくなかったので。

 

小5になり、クラス替えがありました。

吹奏楽部で同じトランペットパートのYくん、頭がいいと評判のSくん、何故かずっと敵視していたTくんなどと同じクラスになり、なんかもう今までにない勢いで意気投合します。

休み時間もずっと彼らと遊ぶようになりました。彼らとは日々新しい遊びを開発して、結局何をして遊んでいたのかちゃんと覚えていません。風邪をひいて2日休んだら知らない遊びがいくつも新発明されていて「休まなきゃよかった」と後悔した記憶もあります。

しばらくすると女子2、3人が私たちのグループに加わりました。その中の一人が私の初恋相手のNちゃんです。

Nちゃんは背が小さくて、目が大きくてえくぼが綺麗な女の子でした。

「役に没頭するタイプ」という点で、めちゃくちゃに気が合いました。この頃はみんな何かになりきって遊ぶのが流行っていました。(私は今でもそういうの大好きです。)

 

そんな風に、私の小学校生活は小5になってから急速に勢いづいていきました。

吹奏楽部の発表曲を練習していないこと以外は)何の心配事もない、晴れ晴れとした毎日でした。

 

 

6月の終わりごろに父と風呂に入っていると、「たっちに話さないといけないことがあるんだけど……」と話を切り出されました。父は7月に定期的な転勤がある職種だと知っていたので、私はすべて悟り、喜んで小躍りしました。

 

というのも、長崎での私の家には私個人の部屋がありませんでした。それで父と「もし次に転勤があって引っ越すなら、私の部屋も作る」という約束をしていたのです。

その時の私は友達との別れなんかを全く考慮せず、ただ自分の部屋がもらえることに喜びの感情しかありませんでした。中学生の兄は泣いていました。

 

次の日学校に行き、朝の会の後に先生に転校のことを告げました。先生が「はああ!?」と叫び、クラスが騒然としました。(当時はかなり先生に好かれていました。私は嫌いでしたが。)

特にNちゃんと、頭のいいS君は本気でショックを受けて、泣き出しそうな顔で私に「どういうこと!?」と詰め寄ってきました。私はヘラヘラしていました。

 

 私が学校を去る数日前から、Nちゃんは色々なものをプレゼントしてくるようになりました。お菓子だったり、手紙だったり。私はそれを受け取りながらも、ランドセルに入れっぱなしで忘れてたりしました。最悪です。

最終日、クラスでお別れ会的なことをしてもらいました。S君は号泣していました。Nちゃんには私がペットとして育てていたキーホルダーをあげて、さよならを言いました。

 

そして、私は熊本へと旅立ちました。熊本での最初の夜、Nちゃんの手紙を読み返しました。もう私に会えないことに対する寂しさと転校してからの私を励ます言葉が、美しい文章で綴られていました。私はそこで初めて失ったものの大きさに気付き、涙がこぼれてきました。

Nちゃんを含む”めちゃくちゃに気の合う友達”と遊ぶことももうないでしょう。いつもの公園にも、チトセピアにも、ドラえもんのある図書室にももう戻ることはできない。

その夜は泣きながら眠りました。

 

その後何度もNちゃんの手紙を見返して、「この子はこんなに私のことを思ってくれていたんだな」と気付きました。なんで私はあんな簡単に別れてしまったんだろう。たまらなくNちゃんに会いたくなってきます。

しかし熊本と長崎の距離は小学生には越えられない障害です。(今思うと全然会いに行けたように感じますが。)

私は寂しい夜になるとNちゃんやその他の友達からもらった手紙を読んだり、転校前のクラスの写真を見て余計に寂しさを増していました。

 

そんな寂しさも、やはり時間とともに風化していきます。

小学生の内はまだ何人かの友達から手紙や年賀状が来ていましたが、中学生になるとそれも無くなりました。

私もNちゃんのことを思い出すことはほとんど無くなりました。

 

中2の正月に、Nちゃんから年賀状が届きました。

年賀はがきに「Happy New Year」というタイトルと、10行くらいの文章だけが書かれたシンプルな年賀状でした。

「昔の手紙を漁っていたら懐かしい名前を見つけたので、年賀状を出してみます。」から始まり、Nちゃんや友人たちの近況が綴られた後に「あのころの日々に、今に、Happy New Year。」という文で締められていました。

中学2年生の私はその美しい文章に大感動し、またたまらなくNちゃんを愛しく思いました。そしてまた、今まで会いに行かなかったことを激しく後悔します。でももう今更会いに行くこともできません。

すぐに返事を書こうと筆をとってみますが、Nちゃんの年賀状に比べると私の文章はとても稚拙でペラペラの内容にしかなりません。そもそも字が汚い。

 

 なんとか返事を書いた気がしますが、それ以後はNちゃんとの接触はありません。

 

もうどこで何をしているかもわかりませんが、幸せに暮らしていることを祈っています。

 

初恋の話はこれで終わりです。次回は小6~中3をざっと振り返って終わりにしたいです。