お弁当を温めている時間に私が考えていること

 

平日のお昼。

いつもコンビニでお弁当を買って、温めをお願いしています。

昼休みのサラリーマンが集うコンビニなので、レジは5台体制、裏方が流れ作業でどんどんとお弁当をレンジに入れては出してを繰り返しています。

お金を払ってから温め終わるまでの数分間、私は毎回同じ事を考えます。

 

何故お弁当を温めてもらっているのでしょう。

冷えていても食べれないことはない。温度が上がったとして、お弁当の物質の成分はそこまで変化する気はしないので、栄養価なども大差ないでしょう。

 

私は「自分がより美味しく食べる」ためだけに

温めてもらっています。

 

これは自分の中で完結する、一瞬の快楽のためです。

このような行為をオナニーと呼ぶ人もいます。

 あまり人に見せたいものではありません。

 

温め待ちをしている時など、恥ずかしくてソワソワしてしまいます。

 

 

 

少し話は変わりますが、何故温めたお弁当は冷めたものより美味しいのでしょうか。

 

軽ーくネットで調べると 

分子運動が活発になって香りが強くなる…とか、脂肪が柔らかくなる…とか書いてありました。

(これらは現象の説明であって理由の説明ではないような……)

 

思うに、温かい食べ物を美味しいと感じるのは、遺伝子的にそう決められているからです。

 

何百万年も昔、火を使用するよりも前。人類は熱いものを食べても特に美味しいとは感じていなかったのかもしれません。

火を使用して調理した後の熱い食べ物は、衛生的に考えても消化の負担で考えても、生のものより優れているでしょう。

 

つまり、「温かいものが美味しい」と感じる遺伝子を持った人間は、他の人間より少しだけ生存確率が高くなります。その結果、今日ではそのような人間だけが生き残っているのでしょう。

 

 

ここまで書くと、「弁当を温めるだけの時間でも僕はこんなことを考えているんだぞ!」

というアピール話のようですが、本題はここからです。

 

私は毎日お弁当を温めてもらい、毎日同じことを考えています。

 

つまり上記の、何故温めているのか?から、一瞬の快楽、火の話、遺伝子の話……と、毎回同じ思考の経路を辿って同じ結論に達しています。

 

そうなると、私は何も考えていないのと全く同じです。

 

 

人間の思考は制御し難いもので、放っておくと独りでに流れていきます。

「ありがちな」「慣れた」「いつもの」思考パターンに流されることは容易く、逆にまだ見ぬ地平へと進んで行くことは大変な苦痛でしょう。

 

年齢とともにそうした苦難を避けて、思考は決まったレーンの上を滑るだけのものになっていく傾向にあります。(もともと固まった思考パターンしか出来ない人もいそうですが……)

そうなったら死んだも同然です。

 

 

 

私はより長い間、人間であり続けたい。

 

まだまだ精進します。どうかこれからも、たくらだをよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

「もともとトイレの個室に二人いた」というトリックが推理小説の冒頭で使えそう。

(これは私が職場のトイレに並んでいる時に毎回考えている事)